que's queer things

脊髄あたりを撫でては摩る何かを

アンゴウ

坂口安吾が好きだ。

 

最近、「人間失格」の宣伝をよく見かけるので

ふとそんなことを考えた。

 

太宰については語れるほどの知識がない。

高校生の頃「人間失格」と「斜陽」を読んだくらいで

このナルシシズムに濡れたしっとりした感傷的退廃のような何かはダメだ、と思ったのを覚えている。

自分が裕福でないというビハインドに打ちのめされていた時期でもあって、こっちの絶望はそんなもんじゃねぇという、微かな怒りすら感じていた。

 

そのまま大人になってしまったので、私にとって太宰治についての知識は

中原中也の言い放った「青鯖が空に浮かんだような顔しやがって」という言葉ぐらいしかない。

ちなみに中也の詩はとても好きだった。いつかこんな暴言を吐いてみたい。

 

安吾に対しても同じようなイメージがあって、最初は読まず嫌いだったのだが

堕落論」でその先入観があっさり崩されてしまった。

なんてったって「生きよ堕ちよ」である。

これは、悪魔があなたにそう囁いていますなんていうデカダンな話じゃない。

「生きてりゃ汚いこともしなきゃいけない、老いて若さも失っていく、でも綺麗なままでさっさと死のうなんて言ってんじゃねぇ、醜くても強かに生きていけ」

要はそういう話である。強い。

 

安吾作品には妙な潔癖さもないし、湿った感傷もない。

決して明るい話じゃないし、世界観だって何処と無く暗い。

それなのに何かがカラッとしている。

絶望や失望の先の、ある種の開き直りのような空気がある。

一周回って元気、というやつだ。

 

実際、安吾の人となりを調べてみると

なるほどそれならこうなるよなぁという感じなのだが、

それについてはまた、機会があれば書こうと思う。

 

最後に、「夜長姫と耳男」は名作です。

山岳地帯で口笛を吹きたい

スイスで安楽死ツアーというものがあるらしい。

人生の最後としてはとても美しいと思うけども、風景でも堪能しているうちに生きる気力が湧いてきてしまいそうだ。

 

人の死、というものについて考える。

まだ若く健康な後輩が自死を選んだことがあった。悲しいよりも、辛かったろうなよりも、勿体無いなと思った。

真面目だったが故の葛藤があったんだろうし、他人には窺い知れない事情や苦悩もあったんだろう。それでも、傍目から見る限り、社会にも出ずに人生を終えてしまっていいような前途のない若者ではなかった。この子の人生は永遠に喪われてしまったのだ。生きていたら「あったかもしれない」幸せや希望の実現は2度と叶わない。

 

自殺そのものは恐ろしくない。自殺に就いて考へるのは、死の刹那の苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。

「自殺」という言葉が頭をよぎる、そんな時にいつもふと頭に浮かぶのは、萩原朔太郎の「自殺の恐ろしさ」という文章である。死の瞬間に想起されるかもしれない、様々な後悔。なるほどこれは「その瞬間」にしかわからないことだし、わからないからこそ恐怖なのである。

 

色々な人間がいると思う。いまが楽しくて仕方がないひと、死ぬなんて考えたこともないぐらい人生を謳歌しているひと。

でも、多くの人間にとっての生きる理由は、むしろ未来にあるんじゃないだろうか。「夢」「希望」「期待」。「いつか王子様が現れる」なんて夢想から、「宝くじ当たるかも」。「夏のボーナスが出たらあの服を買おう」とか、もっと近いところでいえば「週末は美味しいものを食べてゆっくりしよう」。未来の事象に希望を抱いて、現在の苦痛をやり過ごす。普通のことだ。

だから、本当に辛くて仕方がないときでも、私たちは「やまない雨はない」なんて嘯きながらなんとか今を耐えるのだ。視点は未来に向いている。朝起きたら、このプロジェクトが終わったら、転職に成功したら、それまでは貝のように耐える。

そういうことが一種の普通になっているからこそ、私たちは後悔を想像するのだ。なぜ生きているのか?という疑問に対して、私自身は答えを持っていない。まして楽しいと思って生きている瞬間など、過去の数十年間の中の1%にも満たないだろう。ではどんな時が楽しいのか、と言われれば、それは未来に希望が持てる時だ。何故生きているのかという質問にかろうじて答えをひねり出すのであれば、「もしかしたら万が一、天文学的確率で未来が明るいかもしれないから」だ。つまり思考は未来に向かっている。

 

ここから認知心理学的「now, here」な話をするのは今度にして、未来というのは生きる上て大切なキーワードだ。死を選んだ彼にとって、未来は永遠に続く真っ暗なトンネルのように見えたのだろう。第三者にとってそうは見えないものであっても、人の世界は見えるもの・感じられるものだけで構成されているのだ。永遠に続く目の前の暗闇。生きてりゃいいことあるよなんて、そんな甘言めいたことはとても考えられなかったんだろう。生きていたら「あったかもしれない」幸せや希望とか、死の瞬間の後悔であるとか、そんなものは全て消え失せたあとだったんだろう。彼が見ていたであろうビジョン、それを想像すると苦しくなる。

 

私は彼の死をもったいないと思った。トンネル的な一人称視点ではなく、あくまで第三者として、彼を俯瞰してそう思った。

 

かといって、さて自分自身の話になってしまえば、やはりトンネルビジョンの真っ只中で、何一つうまくいっていないなと思うことしきりだ。そしてそういう時は大体、過去の人生を振り返って、やはり同じようにうまくいかないことを拾い上げては、失敗の追体験を幾度となく繰り返すのだ。生き物には学習性無力感というものがあるので、複数回似たような失敗があれば、その先の失敗をも予想することは難くない。こうして視野はどんどんと狭まり、自分の行く先のイメージから色彩は失われ、失敗まみれの未来予想図が出来上がるわけだ。

 

「生きてりゃいいことある」が人生のコンパスだとする。では「生きててもいいこと、もうないよ」。それを実感を持って感じ取ってしまった時点で、絶望以外の道は絶たれてしまう。個別の理由はどうあれ、彼が死を決意するプロセスもそうだったんだろうと思っているし、私はそのことをとても悲しい決断だったと思う。それなのに、人の人生が喪われることを無念がっていたその頭で、自分の人生の喪失についてはどうでも良くなってしまうのである。矛盾というやつだ。

 

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他者の期待に振り回されることほど虚しいことはないのだが

他者の期待に振り回されている。

認められる側じゃなくて、認める側になればいいのかもねぇ。

自我という曖昧な存在

最近の関心事

 

・思考の癖

https://scienceshift.jp/cognitive-science01/

 

ピクトグラムユニバーサルデザイン

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/60/6/60_6_21/_pdf/-char/ja

 

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最近の出来事

 

4年ぐらいのばし続けていた髪を切りに、学生時代通っていた美容室に行った。

久しぶりに降り立った西武線の某駅。

懐かしさがこみ上げてくるものと想像していたにも関わらず、襲ってきたのは恐ろしいほどの虚無感。

そこで気付いた、自分にとっての学生生活。

楽しかったような気がする。様々な経験、価値観や知見に触れたような気もする。

でも、そこにあるのはただならぬ虚しさだった。

東京の片田舎、平凡な家庭に育った公立高校出身の凡人にとって、早稲田という大学はちょっと世界が大きすぎて、ついていけなかったのかもしれないな。だって生活環境一つとっても、普通のレベルが違うからね。

あの頃は環境を咀嚼するので精一杯で、自我が薄れていった端緒になった時期かもしれない。

そんなことを感じながら、肝心の髪の方は男の子よろしく短くなりました。

でもそんなタイミングだからこそ、学問に絞って学び直したい思いがふつふつと。

心理学を専攻していたのに、自分の心が死んでいくのを遠目に眺めているだけの状態はどう考えてもよろしくない。

 

で、最近やっていないことが文章を書くこと。

普段頭の中であれこれと考えている人間にとって、この考えはそのまま言語化されて普段の生活に表出されてしまうので

頭の中の言語がしっかりしていないと、表立って出てくる言葉の強度も落ちる。

混乱していれば混乱した状態の、弱気になっていれば弱気な言葉が表出される。

変な接続詞や不要な形容詞なんかも、そのまま会話に出てくるのね。

言葉を口に出した後の自己へのフォードバック、そのインプットに対する思考、思考された概念の言語的表出。この一連の流れが負の連鎖を作り出すと、知らず知らずに思考が害されていく。どこがきっかけだったかは失念したけれど、完全にこのループにハマってしまっていることを痛感したのね。

日記を書いてみると分かるけれど、無意識で書く文章はそのまま普段考えていることや喋っていることと同じ思考・文体になっている。

「なんか」の多用、「とか」の多用、「ちょっと」「いったん」「少し」「変に」と言った、内容をぼかす言葉の多用。なんのユーモアもない、拗らせた哲学者のような内容。

自分を省みるためには、一度自分の頭の中を棚卸しすべき。そう感じたので、ここから期限を決めて日記を書き始めることにした。

期間は3ヶ月ぐらい。自分を理解はできても変えられるとは限らないからね。軽い悪あがきだとは理解しつつも、意味があればいいなと。

 

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最近の趣味

 

ストックフォトでアイコンイラストをもりもり作っては売っている。

購入してくださった皆さん、ありがとうございます。

pixta

https://creator.pixta.jp/@prof1474353/illustrations

 

・shutterstock

https://www.shutterstock.com/ja/g/que0520

 

サービスによって売れるものに偏りがある印象があるので

この辺りは後々まとめて書きたいな。

 

あと、凪のお暇を読んで

凪ちゃんは自分だ!と感じている数多の日本人のひとり。

空気読みすぎて空気になるよね、わかる。

エゴイズム全開人間じゃないけど、それらしい振る舞いをしたい。

for example: in burns

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すでに何度か紹介している、Thorazineという抗精神病薬の広告。

 

なんだかやる気があるのかないのかよく分からないシュール&シンプルさ。

このビジュアルが表現しているのは

「患者の訴える痛みは火傷のよう」ということみたい。

・・確かに「しんどい」雰囲気は伝わる気がするけど

「burn」という単語にちゃっかり下線が引いてあったりして、なんか説明的です。

 

うーん。

それと、「苦痛に"耐える(endure)"」というワードを使っているあたりが

なんとなくもやっとするな。

「耐えることができる」ことは、イコール根治じゃないもの。

 

今回、「患者」と「痛み」の関係性についてちょっと観念的に難しかったです。

変な訳になっちゃった。

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Thorazine's tranquilizing action can reduce the suffering caused by the pain of severe burns. 'Thorazine' acts, not by eliminating the pain, but by altering the patient's reaction - enabling him to view his pain with what has been described as "serene detachment". Karp et al., reporting on the use of 'Thorazine' in patients with severe pain, observed that 'Thorazine' produced "a quiet, phlegmatic acceptance of pain."

Before prescribing 'Thprazine', it is important that the physician be fully conversant with our literature, particularly those parts of it dealing with administration, dosage, side effects, cautions and contraindications.

'ソラジン'の鎮静効果は、重度の火傷の痛みによって引き起こされる苦痛を軽減することができます。 'ソラジン'は痛みを取り除くのではなく、患者の反応を変えることによって作用します。 つまり、患者が彼の痛みを"穏やかな分離"として感じることを助けるのです。 Karpらは、強い痛みを訴える患者への'ソラジン'の使用に関するレポートにおいて、'ソラジン'は痛みに対して穏やかで冷静な受容を与えることを認めています。

'ソラジン'の処方のためには、医師が私たちの文書、特に管理・使用量・副作用・注意そして禁忌事項について精通していることが求められます。

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a symptom that cuts across diagnostic categories

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'Thorazine' - フェノチアジンから派生した抗精神病薬の一つ。日本ではコントミンやウィンタミンが有名。

 

高く拳を振り上げる男性と、怯える女性が描かれたモノクロ写真は

大きくぶれた被写体が、男の今にも殴りかからんばかりの勢いを直接的に表現していて

かなりインパクトのある広告。

 

ただ、遠目に見ると白と黒のコントラストが綺麗で

なんかちょっとまた別の印象なんだけどね。

私はちょっと、マリオ・ジャコメッリの写真を思い出した。

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飾り気のないゴシック体がゆるく組まれてる感じもいいよね。

ちょっとクールで、最近のミニマムな感じにも近い気がする。

 

以下、このお薬について

(いささか日本語がブロークンしている)

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because of its sedative effect, 'Thorazine' is especially useful in controlling hyperactivity, irritability and hostility. And because 'Thorazine' calms without clouding consciousness, the patient on 'Thorazine' usually becomes more sociable and more recepitive to phychotherapy.

その鎮静効果により、'ソラジン'は活動亢進、易刺激性、敵対心をコントロールするのにとても有効です。 また、意識混濁を起こさずに患者を落ち着かせることができるので、'ソラジン'を投与された患者はより社会的に、治療にを受け入れることができるようになるのです。

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Don't let your struggle become your identity

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「君の中のたたかいにのまれるな」

 

上手な訳が見つからないけれど、とても心に刺さったコピー。

メンタルヘルス界隈における情報をまとめた、こちらのサイトから。

http://www.healthyplace.com

agent for parkinsonism

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"Akineton" - パーキンソン病の治療薬。

薬物によって引き起こされるパーキンソニズムの軽減に使われる。

 

こちらも仮面をモチーフにした広告。

一番上の男性の顔から流れるように"Akineton"の文字へと進んでいく視線誘導が

素晴らしい。

そして"Akineton"の文字の詰まった感じ。

この文字間に、切迫した何かを感じずにはいられません。

シンプルだけど渋くて秀逸なビジュアル。

 

しかし、モチーフに使われている「仮面」。

この薬剤は主に

パーキンソニズムに代表される不随意運動に効果を現すものなのだけど

この手の薬の広告によく用いられる「振戦」ではないイメージを

採用しているところが面白い。

"不随意の運動=その時の自分は自分ではない"

そんな感じの連想で、この人形のような仮面が登場するのかしらん。

 

この薬の詳細はこちら。

ここでの"Available"、どんな日本語にすればハマるんだろう?

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action: by controlling drug-induced extrapyramidal disturbances, ALINETON makes it possible to continue tranqulizer therapy of psychotic or other conditions requiring relatively large continuous doses of phenothiazines or reserpine.

side effects: minimum(mainly dry mouth or blurred vision).

dosage: indivisual adjustment of dosage is neccessary in all instances. Average daily dose: 2mg (1 tablet) one to three time daily.

available: supplied as the hydrochloride salt, 2mg. bisected tablets, bottles of 100 and 1000.

complete information furnished upon request.

効能: 薬物誘発性の錐体外路症状をコントロールすることによって アキネトンは、精神秒症状や、フェノチアジン・レセルピンの比較的多くの継続的服用を必要とするその他の状態に対する トランキライザーによる治療継続を可能にします。

副作用: ごく少ない(主に口の渇き、視界がぼやけるなど)

用量: あらゆる場合において個人に適した用量を厳守すること。 平均的な1日の服用量は2mg(1錠)を1日1〜3回。

お求め: 塩酸塩として2mg 分割可能な錠剤、ボトル100錠入りまたは1000錠入り

詳細な情報はご請求次第差し上げます。

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