que's queer things

脊髄あたりを撫でては摩る何かを

自我という曖昧な存在

最近の関心事

 

・思考の癖

https://scienceshift.jp/cognitive-science01/

 

ピクトグラムユニバーサルデザイン

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/60/6/60_6_21/_pdf/-char/ja

 

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最近の出来事

 

4年ぐらいのばし続けていた髪を切りに、学生時代通っていた美容室に行った。

久しぶりに降り立った西武線の某駅。

懐かしさがこみ上げてくるものと想像していたにも関わらず、襲ってきたのは恐ろしいほどの虚無感。

そこで気付いた、自分にとっての学生生活。

楽しかったような気がする。様々な経験、価値観や知見に触れたような気もする。

でも、そこにあるのはただならぬ虚しさだった。

東京の片田舎、平凡な家庭に育った公立高校出身の凡人にとって、早稲田という大学はちょっと世界が大きすぎて、ついていけなかったのかもしれないな。だって生活環境一つとっても、普通のレベルが違うからね。

あの頃は環境を咀嚼するので精一杯で、自我が薄れていった端緒になった時期かもしれない。

そんなことを感じながら、肝心の髪の方は男の子よろしく短くなりました。

でもそんなタイミングだからこそ、学問に絞って学び直したい思いがふつふつと。

心理学を専攻していたのに、自分の心が死んでいくのを遠目に眺めているだけの状態はどう考えてもよろしくない。

 

で、最近やっていないことが文章を書くこと。

普段頭の中であれこれと考えている人間にとって、この考えはそのまま言語化されて普段の生活に表出されてしまうので

頭の中の言語がしっかりしていないと、表立って出てくる言葉の強度も落ちる。

混乱していれば混乱した状態の、弱気になっていれば弱気な言葉が表出される。

変な接続詞や不要な形容詞なんかも、そのまま会話に出てくるのね。

言葉を口に出した後の自己へのフォードバック、そのインプットに対する思考、思考された概念の言語的表出。この一連の流れが負の連鎖を作り出すと、知らず知らずに思考が害されていく。どこがきっかけだったかは失念したけれど、完全にこのループにハマってしまっていることを痛感したのね。

日記を書いてみると分かるけれど、無意識で書く文章はそのまま普段考えていることや喋っていることと同じ思考・文体になっている。

「なんか」の多用、「とか」の多用、「ちょっと」「いったん」「少し」「変に」と言った、内容をぼかす言葉の多用。なんのユーモアもない、拗らせた哲学者のような内容。

自分を省みるためには、一度自分の頭の中を棚卸しすべき。そう感じたので、ここから期限を決めて日記を書き始めることにした。

期間は3ヶ月ぐらい。自分を理解はできても変えられるとは限らないからね。軽い悪あがきだとは理解しつつも、意味があればいいなと。

 

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最近の趣味

 

ストックフォトでアイコンイラストをもりもり作っては売っている。

購入してくださった皆さん、ありがとうございます。

pixta

https://creator.pixta.jp/@prof1474353/illustrations

 

・shutterstock

https://www.shutterstock.com/ja/g/que0520

 

サービスによって売れるものに偏りがある印象があるので

この辺りは後々まとめて書きたいな。

 

あと、凪のお暇を読んで

凪ちゃんは自分だ!と感じている数多の日本人のひとり。

空気読みすぎて空気になるよね、わかる。

エゴイズム全開人間じゃないけど、それらしい振る舞いをしたい。